ここに至るまで

4日~5日続いた雨。停電にまでなり。ようやく晴れ間がのぞいた午前中。体を動かす目的で、2階の掃除をしていたところ、聞いたことのない音が長く続きました。本能でしょうか?これ以上音が続くと「危険」!!と下にいた人達に知らせるために、階段を降りようとしたら、もう山が目の前まで迫って来ていました。 キッチンに居た両親、親戚のおじさんに「逃げろーー!!」と叫びました。「寿命あるものは助かる!!」と思いながら、私はすでに諦めており山に飲み込まれる覚悟で家に留まりました。                                         奇跡は起こったのです。色々な建物が守ってくれたのです。折り重なり山を止めてくれたのです。 命が守られました。                                   山が崩れる時間は10秒もなかったハズですが、体感時間は5分ぐらいありました。必死で逃げました。車に乗りきれないほど近所の人を乗せて、着の身着のまま、立ち入り禁止となってしまい、避難生活が始まりました。団体生活と言うのは、地獄の様なものでした。だけど、それ以上に沢山の方の親切を感じることが出来ました。感謝の言葉しか出ません。本当にありがとうございました。

災害後の写真ですが、災害前の、のどかな感じがこんなんでした。

災害直後です。勢いよく流れでた山が、ピタッと止まったのです。川の水が溢れ床上浸水になりました。もう住める望みがありません。                

スギ、ヒノキ、土、汚水等のにおいが入り混じっていました。硬いと思っていた車も一瞬でぐちゃぐちゃでした。

立ち入り禁止区域になってしまい。許された1時間のみ帰れる時は、協力してもらいながら必死に片づけました。

安全な仮設住宅で住まわせてもらっている間も復旧作業が進んでいます。ありがたいです。2枚目の左上が小学校で、下が集会所です。運動場もフェンス半分ぐらいまでの水が溢れました。プールの場所は、後に復興住宅を建てられました。この村の形は見ることができないので沢山写真に収めました。

約3年の避難、仮設住宅生活が終わり、地区に帰れます。復興住宅から見た景色です。やはり雨が降ると怖いです。

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